奴は来た。

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「瑛利、餡」 また聞き捨てならない名前― 井上のことなど一気に頭から消し飛んで、昨日の異様な情景がありありと脳裏に浮かび始めた。あれが現実に起きたことなのかさえ、今の俺には疑わしい。 「はい」 凛と透き通った声。清涼飲料水のCMとかに出たらいいんじゃないだろうか。イメージにぴったりだ。アレの天然水とかなんてうってつけ・・・いやなんでもない。餡はやっぱりぶっきらぼうに山本の点呼に応えると、ずっと窓の外をぼんやり眺めていた。本当に、ただぼんやりと、だ。その視線にいつもの鋭さも冷たさもない。不思議と話しかけづらい空気感も霞んで消えかかっていた。今ならなんだかまともな会話ができそうな気がする・・・ 「泥川ー、おー休みかー」 「あ、はい!」 思いがけず自分の名前が呼ばれて驚く。うっかりしてた・・・出席番号が間近まで迫っているのを全く察知できなかった。ぼんやりしすぎたか。 「お、そうかそうか休みか」 「え、いやいますってば」 「ははは、わかってるよ。あんまりぼやぼやしてっとぉ、ホントに休みにしちまうからな!」 山本は爆笑しながら後続の名前を呼び始める。ん、この感じだと井上は一応出席ってことになってるのかな。まぁ、どうでもいいけど。山本はその後もつつがなく、だがどこか楽しそうに名前を呼び続ける。端から端まで呼び終え、彼はふぅ、と息をつくと言った。 「よし、いないのは井上だけだな。じゃあ諸連絡すっから耳かっぽじいてよく聞けよ。」 どうやら井上はマジでいないことになっているらしい。アーメン。 山本はぱぱっと連絡事項を読み流していく。委員会の招集に学校行事の連絡。保健室だよりとなんだかよくわからないプリントを数枚、これまた流すように配ると朝のホームルームはお開きになった。ちなみにホームルームの略である「HR」を長らく、ホームランの略だと思っていたのは内緒だ。
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