序章 明日へ触れる

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「私の家、ここなんです」 「あ……、はい」  彼女は、古ぼけた家の前まで来ると、俺の方に振り向いた。 「こんな所まで送ってくれて、ありがとうございます」 「いや、良いんだ。その……、勝手に俺が送ってくなんて言ったんだし」  目を合わせられぬまま、確かに口は動かした。  だから、今彼女がどんな表情をしているのかも分からない。  だけど、何となく。  嫌な顔はしてないと思う。  この時期にしては冷たい風が、頬を鋭く突く。  もう春なんだから、暖かい風を吹いておくれよ。 「寒いですね……」 「そうだね……。じゃあ、体を冷やしても駄目だし、もう家に入った方が良いよ」 「そうだね、そうします」  まだ互いに、タメ口と敬語の混ざった気持ち悪い会話を交わす。  でも、そんな気持ち悪い会話が、居心地良かったりするんだろう。  ――彼女は、俺の言われた通り、会釈するなり家の中へ入ろうとする。  だけど……。  このままは、何か嫌だ。 「えっと! また会えますか?」  俺は、玄関のドアノブまで手をかけた彼女に聞こえるように、そう言った。  すると彼女は、あの可愛いくて、優しい温かみのある微笑みを残し、家の中へ入って行った。  あの笑みはどんな意味だったんだろう……。  彼女が家に入った瞬間。  全てが無に返ったように、更に冷たい風が吹いた。  多分、だけど。  また会えるって意味の笑みに、俺は見えていた。 「あ……」  ――と、そこで何かに気付く。 「そういや、あの子の名前、聞いてないや……」  だから会話も弾まなかったんだ。  何か緊張し過ぎて、名を名乗るのも忘れてたよ……。  だけど、和哉は、数秒後に、ある違和感を覚えた。  不思議だった。  人間に興味の無い自分が、人間である少女の名が気になってしょうがない事に。  これが、俺の全てを変える物語の始まりで、小さな運命の始まりだった。
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