テルミドールの憂鬱

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 ぼくはそれらの事象の地続きに立っていて、ただそれらを〝憶えている〟に過ぎない。それらの根拠とするものが記憶なんていう、曖昧模糊とした、この手にすら現せられないものでしかない。 ひょっとすると、これはとんでもない恐怖なのではないだろうか。法的な、社会的な立場は持ち合わせていられるけど、本質的な〝ぼく〟という存在が依るべき場所は、何処にも無い。目に見えて、手で触れるような位相にそれらは存在を許してくれない。 だとしたら、酷いものだ。本当に。 どうやら神は、ぼくを見捨ててしまったらしい。何も言わずに素知らぬ顔で、まるでゴミクズでも放るように、ぼくの根拠を奪ったわけだ。  しかし、良いだろう。もうそれは必要ない。    ふと、ぼくは傍らの窓からそっと景色を見遣る。十一月の高い空は、心地いい具合に澄んでいて、秋の足音を間近で聞かせてくれる。  もう、そんな季節になったのだ。そう感じた、思考したぼくは、いまはもう、紛れもない〝ぼく〟であると言っておきたい。コギト・エルゴ・スムとでも言わせてもらえれば上出来だ。  遠くから歓声が聞こえる。この窓と反対側の大通りでは、いまパレードの真最中なのだから、仕様が無い。  ここ――アメリカテキサス州フォートワース・ダラスのディーリー・プラザでは、今日一日くらいはお祭りの熱狂に包まれ続けることだろう。興奮と熱狂、批判と中傷の大渦を、彼は目一杯に抱えて持ってくるのだろうから。  それで良い。それが良い。馬鹿踊りなら、なるたけ楽しくあるべきだ。
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