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電話を切った今日子は、サンダルをつっかけて外に出た。
歩いて1分もかからないその小さな平屋建ては、築何十年という時を経ている古い家だ。そこには独り暮らしの老紳士が住んでいる。
とっくに職は退いているのだろう。髪や眉毛は真っ白で言葉は少し不明瞭。でもかくしゃくとしたお年寄りで、朝パートに出かける時に彼が散歩するのに鉢合わせることもあった。最近は杖をつくようになっていたが、それでも独りで悠々と歩いていた。
今日子の引っかかりに間違いはなかった。その表札の名前は高山三郎。そして確かに年金暮らしの無職。散歩がてら挨拶でそう言っているのを聞いたことがある。
──これは一体何を意味するのだ?
高山が携帯電話を持っているかどうかは今日子は知らない。申し訳ないけれど、メールを使いこなしそうな程には現代的な人には見えない。
玄関の前で表札を見たまま考え込んでしまった今日子の耳に、からからと戸を開ける音が響いた。高山本人がひょいと引き戸から顔を出す。
「新島の奥さん、どうかされましたか?」
扉の左手に居間がある。多分、そこからぼおっと立っている今日子が見えたのだろう。
「……あ、いえ、すみません」
その言葉に頷きにこやかに笑って、三郎は扉を閉めようとした。
「あの」
今日子は考えるより先に声を出していた。
三郎は半分だけ残したドアの向こうから、再び首を出して今日子を見る。
「……高山さんは、携帯メールはおやりになりますか?」
老人はしわがれた笑い声を上げた。
「私は機械はとんとダメでしてね、テレビの……」手でリモコンを掴むような動作をしてみせるが、結局名前を思い出せず頭を振った「……アレですら押し間違います。めぇるなんてものはよう手を出せません」
「そうですか。変なこと聞いてすみません」
軽く会釈して家へ戻る。老人が戸を閉める軽い音が遠ざかる。
あれがメールでしか来ないものだとしたら、三郎は何も知らないのだろうか。
いや、本当に彼のことであるかどうかもまだ判らない。最近流行のニートとやらで、ネットにハマっている若い男性で同姓同名という可能性もある。もしそうだとしたら、もう今日子には心当たりがないのだ。
考えても答えは出ない。今日子は溜息をついてキッチンに立った。まずは夕飯を作らなくては。
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