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廊下から騒がしい足音が聞こえてきて、黒板の上の時計を見上げると、十一時二十二分。授業まであと三分ある。アンモナイトから手を除けて、机の脇によけておいていたノートを適当に開く。開いたページには先週やった地質図の問題が解かれている。解かれた後、もうたいして意味を持たなくなった想像上の地層を、少しだけ眺める。どの傾斜もきれいに四十五度でそろえられた地質図は、いかにも無機質で無意味だった。私の書いた尾根を示す直線だけが、ゆるやかな弧を描いて浮かんでいる。今日の授業に使う白紙のページを探そうとして、次のページをつまんだ時、扇風機の風が押し流すようにノートをめくった。がさがさと紙とさびの音が耳障りに鳴る。急に私のほうへ風が向いたことに驚いて、後ろを
見ると、扇風機は、何事も無かったように私のほうから顔を背け、床に落ちた埃を追い立てている。いつのまにか、羽根が下を向いていたようだ。首を境にして対流の仕方が変わった空気の温度差のせいで、体が二等分されたような感じがして少々気味が悪い。あの老人めいた送風機は時々、こんな具合に、急に首を落とすことがあった。そのたびにむやみに強い風が吹き付けるので、私たちは手早く首を上げてやらなければならなかった。
私は、立ち上がって教室の後ろ隅へ駆けて行き、扇風機のスイッチを切った。しゅうしゅうと音を立てて回転が緩んでいき、やがて静止する。動きの止まった空気がゆっくりと教室の床に積もって、私を埋めていっているような感じがした。蒸し暑かった。
介護人のように、私は扇風機の首の後ろに手を回し、その機械の顔を上向きにして、ねじを回し固定する。ふさわしい姿に戻ったそれはスイッチをつけると、また、ゆっくりと教室の空気をかき混ぜ始めた。風が耳の裏をとおり、髪をなでる。涼しさと汗の滑る感触に深い息が漏れて、扇風機とは偉大だと思ってしまう。それでも、錆付いた扇風機の羽根の音は耳障りだし、首の介護をしなければならないのは億劫だった。
風を避けるように、扇風機の後ろに立ってみる。滞った地学室の空気はしっとりと暖かく私を包んだ。さっきより微かに涼しくて、快適なのは、おそらく扇風機が回っているからだろうと、思った。苦笑いがこぼれた。
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