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彼の言葉はするりと夜の中にすべり落ちていく。
元より眠る彼女を起こすつもりで放った言葉ではなく、深い眠りにある彼女がその声に目を覚ますこともなかった。
月と彼と彼女と。
そして夜が彼らを包み込むだけの空間。
天高くあった月がゆるやかに、ひそやかに傾いてゆく。
決められた方向に向かって進んでいるはずの、時計の針が刻むかすかな音は、深まる夜の吐息のよう。
それでもマルセイユは、彼女を軽く覗き込むような姿勢で椅子に腰かけたまま、動こうとはしなかった。
沈みゆく白い光に照らされた彼の横顔は、彼自身が意識しているわけではなかったが、穏やかで優しい表情をしている。
時間などはじめからなかったかのような空気の中。
彼は静かに彼女━━エルリーゼとの過去を、回想しはじめていた‥‥。
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