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「ごめんよ、待っただろう」
待ち人が現れた。
ポマードで撫で付けた黒髪、滑らかな丸い笑顔、仕立てのいい真っ白なシャツ。
「よりにもよって、こんな暑い日に」
白い絹のハンカチで汗を拭う姿を眺めながら、いつも、この人の体内を流れているのはドロドロした生臭い血ではなく、澄み切った水なのではないかと半ば本気で疑ってしまう。
「商談が、思ったより長引いてしまってね」
大きな二重瞼の目を長い睫毛ごと伏せる。
「決まるまで、色々と無茶を言われたんだ」
俯いた彼は、何だか叱られた子供みたいに見えた。
「いいのよ、わたくしも今、来たばかりだから」
あたしは出来るだけお上品な笑顔を作って答える。
「お気になさらないで」
実際、彼が謝る必要なんてこれっぽちもない。
これからあたしが彼にしようとしてることと比べたら、五分どころか一時間遅れて来たって、責めるには及ばない。
というより、いっそ、すっぽかしてくれても……。
ここまで考えたところで胸が締め付けられる感じがまた襲ってきた。
彼と組んだ腕に知らず知らず力を込める。
近頃、この胸の痛みが持病になっているのだ。
「良心の咎め」とか「罪の意識」なんて、そんなごたいそうなもの、一生縁がないと思っていたのに。
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