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病室は三階の南病棟外れにあった。
バストイレ付きの広く新しい特別個室であったが、この時妻は入浴はおろか自力でトイレすらできない状態になっていた。
その壮絶な痛みは、弱り果てた妻の身体を引き裂くように這い回わり暴れだす、まるで痛みという悲鳴が汚れた硝子欠片のように妻の皮膚を突き破っては飛びだしくるのようで、その姿を目の辺りにした私は唾を飲み込んだ。
癌という悪魔は彼女の内面からガリガリっと神経を引っ掻き、妻はその骨皮に痩せ細った身体を溢れ出した体液で不自然にパンパンに膨らまし…骸骨とむくみの真逆な身体に反応し、唯一少しだけ動かせる顔を揺らしだす、
真っ白な蝋のような指先に力がはいる、シーツを鷲掴んだ細い指が折れそうだ、
機械のように左右に首を振り、窪んだ眼球をガッと見開き、何かを訴えるように泡をふき歯軋りを続ける…
どんっ!
シーツを鷲掴む指先に力がはいり、胸が跳ね上がったように何度か仰け反りだす、突っ張った足が何かを蹴るようにを不規則にばたつく。
固く握りしめたわたしの手の甲に、妻の爪が深く食い込んでいく…。
頭をぷるぷる振りながら、空気を喰らうように口が開き顎ががくがく震えだす。
渇いたの唾を口端に溜め、荒い息を吐き出す度に、くい縛った歯がキリギリッと鈍い音をたてる、
歯ぎしりで今にも歯が折れ壊れていきそうだ…
しかし妻は極限まで痛みを堪えた。
それは、モルヒネという究極の痛み止めを嫌ったからだった…。
モルヒネは痛みだけではなく、迫り来る死の恐怖、生の終わりを待つ哀しみを忘れさせてくれる…、そして妻の意識さえも何処か知らない場所に連れ去ってしまうのだ…。
テーブルスタンドの灯りが暗闇に妻の顔を照らしている、静かに横たわる妻の瞳は虚ろで本当に微かに震えている。
ひび割れた唇の端から、黄色い涎の泡がぷくぷくわきだし、
「お魚が…、熱帯魚がいっぱい…、泳いでいる…」
妻は右手首を小刻みに震わせ、うわごとのように呟いていた。
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