./account_murder_case

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        ◆ 秀の家は住宅街の中にある古ぼけたマンションの最上階だった。 屋上の元々は倉庫だった部分をリフォームして住居にしたのだが、案外居心地は悪くないと感じていた。 家の扉を開けるとすぐそこが屋上で、 ところどころひび割れたコンクリからは雑草や苔が生え、 剥がれたトタンの破片や手すりのサビの塊がそこらに転がっていた。 目線の先には遠くに新宿の夜景が見え、 その逆側は天気が良ければ富士山が見えることもあった。 屋上をブラブラと歩きながら再び伸びをし、首を鳴らす。 肩凝りはソフトウェア技術者の職業病だが秀は特に首の凝りがひどかった。そこで編み出したのが猫背で首を前に突き出す姿勢だ。 身体をいたわるための実用書などに書いていることとはむしろ真逆の行為だが、秀の肩凝りはこの姿勢を取ることで飛躍的に軽くなった。 また、もし他人がそれを見ていたらいかにも不格好で印象が悪いのだが、秀はそんなこと微塵も気にしていなかった。 「要は生産性」 と秀は言う。 自分はひとりで仕事しているからそんなこと意識する必要が無い、と。 秀は徹底的な合理主義者で不要なものを 削って、削って、削っていったら 結局自分一人で仕事をすることになっていた。 無精髭で満たされた顎、首の伸びたTシャツ、980円で買ったハーフパンツからのぞくいかにも運動不足な細いふくらはぎ。 そんな全てを秀は「悪くない」と思っていた。 秀は仕事の上ではネット関連の『システム屋』を名乗っていたが、彼と深く関わった人はみな彼のハッキングやクラッキングのスキルが突出していることを知っていた。 そのため公ではなくこっそりとその手の依頼が舞い込むことも少なくはなかったが個人で小回りが利く分、しばられず、監視も無く、合法と非合法のギリギリのことをやり、やばくなったらすぐケツをまくる。 そういう身軽さが秀のスタイルだった。 タバコが半分ほどになったところでポケットの中から無機質なベルの音がする。メールだった。
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