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振り返ると先ほどの老婆が手すりにつかまった状態で中腰になりおれに目線を送っていた。おれは突然のことにかすれた声で応えた。
「はい?」
老婆はおれからの反応を得たことで、ようやく居心地の悪さから解放されたという表情を見せる。
「あの……次のバス停とその次のバス停だと、神御黒公民館ってどっちの方が近いですか?」
「あ、おれ、あの……」
「一度来たことがあったんですけど、忘れてしまって」
「あー、うん、うーんと……」
おれが言葉に詰まっていると前方で淡々と運転していた運転手が助け舟を出してくれた。
「お婆ちゃん。神御黒公民館は次の次、多坂上(おおさかうえ)のバス停ですよ。次のバス停は旧神御黒小学校前。降りても近くには何も無いですよ」
「あ、そうですか。ご丁寧にありがとうございます」
老婆は運転手に向けて深く頭を下げて、そしておれに軽く会釈して自分の席へと戻っていった。
「あ、すみません。おれ、次で降ります……」
「はい。次の停車駅、止まります」
なんとなく展開のせいで言ってしまったが、ちょっと早過ぎたようでその後しばらくの間バスは森緑の中を走った。
「失礼ですが、廃墟マニアの方とかですか?」
突如運転手が前方を向いたままバックミラー越しに話しかけてきた。
「いやぁ、たまにいらっしゃるんですよ。ほら、神御黒小って結構立派な建物ですし。それに、《いわく》も、ねぇ」
おれはしばらく考えたが結局適当に答えた。
「……ええ。そんなものです」
《いわく》とは例の少女殺害事件のことだろう。確かに廃墟と殺人事件がセットになれば、そりゃその筋のマニアは小躍りして喜ぶに違いない。
「この路線、見てのとおりですので。例え廃墟でもなんでも構わないから人気が出てくれないものかな、なんて思うんですけど」
「いやぁ、以外と有名ですよ」
おれはまた適当に答えた。次の質問のためにも。
「今日は……先客がいそうですかね?」
「うーん。いや、今日は常連さんのおじいちゃんが一人降りただけですね」
その言葉を聞いて少し安心した。kuitは少なくともバスでは来ていない、ということだ。願わくはおれより先に着いていないで欲しい。さながらデートの待ち合わせの……いや、無意味な形容は止めよう。
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