― 指宿(いぶすき)の章 MOON ―

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なんとなく声を上げてみた。反響は勝手なハーモニーを生み出し、音がどこから生まれどこへ行ったのかを認識不能にした。そうすると人間の脳ミソは不思議なもので、自分の頭の中から聞こえているように感じるのだと何かの教養番組で観た記憶がある。その時はどうでも良い話だと流したが、自分が発したものを自分で享受しているだけにも関わらず、物理的空間は広いにも関わらず、心理的には狭く自分の脳みそしか世の中には存在していないような神秘性を感じると、あながちそれらも無意味なようには思えなかった。 「神秘だなんていつからおセンチになったんだかー」 もう一度声を上げる。反響音は混じり合ってまるで他の言葉のように聞こえた。自分の台詞ですらないように聞こえた。そして別の台詞が聞こえた。 「や、っ、と」 背後なのだろうか。脳内なのだろうか。やたらボヤケた感じの声が聞こえた。 頭部に直接打ち込まれたような声だ。 冷静に考えて自分の台詞ではない、幻聴でもない。 その声がどこから生まれたナニモノなのかが気になったが、おれは振り返ることも顔を上げることもできなかった。そう思ったときには既に身体が言うことをきかなかったからだ。 ただ、唯一動いた左手で後頭部を確認するようになでる。ヌメッとした感覚。連続して押し寄せる巨大な頭痛。 これは内部からなのか?外部からなのか? いや、どっちでもいいよ。 え、なんだろ、おかしいだろ。 kuitは? いやいや、まだおれ彼に会ってないし。 ちょっと待ってよ。おれ今日の目的がさ。 あれ?kuit?kuit? おれは叫び続けた。 「kuit?」 きっと叫んではいないんだが、とにかく叫び続けた。
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