1・宿泊客リスト

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 中でも、現代では三大歓楽街に数えられいる「すすきの」に関するエピソードには様々な発見がありましたので、これは取引先との格好の話の種になるのでは? と思いました。  一般的には、すすきの葉が生い茂っていたという説がポピュラーなんですが、一帯の遊郭建設に携わった岩村通俊が建設監事の薄井龍之の名を取って付けられた。とも言われています。  こうして出来上がった薄井遊郭は、開拓に従事する労働者を繋ぎ止める為、旅籠(実質的な売春宿)の集合体として機能し始めたと言う訳です。  数年後、芸娼妓解放令が新政府から出されたそうですが、店舗の呼称が変更されるのみで薄井遊郭は大した影響を受ける事無く順調に営業を進めます。  それから薄井遊郭から売春宿はなくなりましたが、変わりに料亭やカフェー、映画館等が立ち並び米国の在留軍人も出歩く様になり賑わっていたそうです。  それこそ戦時中は落ち込みみしたが、戦後はキャバレーやダンスホールが建設され賑わいを取り戻しました。  一方では公娼制度で認められた売春は行われていませんでしたが、一部の飲食店で違法な売春が行われていた青線だったそうです。
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