1.

4/4
前へ
/10ページ
次へ
 重苦しい沈黙の淀む部屋の中央で、煌々と輝くランプの明かりが、神妙な二人の表情を浮き彫りにする。  油を節約しているから、彼らの手元は闇にまぎれていた。  お互い歳を取ったものだな、とエゼルはつけ加えた。 「知っているか?」  テーブルに身を乗り出し、ランドルが突然声を低めた。  豊満な腹が嫌でもテーブルに食い込む。 「ユダヤ人を見つけて通報した者には、肉と賞金が出る」 「……」  ろくに外出しない上ラジオの使用さえ禁止されているエゼルが、知るはずもなかった。 「フランスの山間に俺の知り合いがいるんだ。紹介状書いてやるから匿ってもらえ。今の生活、相当きついんだろ?」  エゼルは酒の入ったコップをテーブルに置き、眉をひそめてランドルを凝視した。 「ここだけの話だがな、そいつの村、村ぐるみでユダヤ人を匿っているってぇ話なんだよ。まず、道端で石を投げられることはねぇ。国境さえ越えればこっちのものさ」 「ビザがない」 「この際、そんなこと言ってられねぇだろ?」  エゼルは無言でコップの中身に目を落とした。  目の前にいる金髪碧眼の太っちょは無二の親友だ。  だが……。 「そう疑うな。信用できる奴だ。俺もそいつも絶対お前をナチスに売ったりしねぇよ」  エゼルの心配を読み取ったのか、ランドルは固い椅子にもたれかかって、わざとらしい明るさで言った。 「まあ、俺の家も隣の家も裕福な方じゃないからな。誰が何をするとも分からねぇのは事実だけどよ。特に俺の妻とか、さ」  笑えないランドルの冗談に、エゼルは愛想笑いで応えた。  エゼルはランドルの妻が苦手だった。  ランドルと同じ金髪碧眼、乳白色の肌。  親子ほども歳が離れ、若くて美人は美人なのだが、どことなくつんけんして冷たかった。  特にエゼルを見る彼女の目には、明らかに侮蔑が混じっている。  それでも、暗い話で盛り下がるよりは美人の話でもしていた方がいい。 「あの綺麗な奥さん、お前を放って先に寝たのか?」  エゼルの口をついた言葉を皮切りに、話はどんどん別の方角に転がっていった。  そしてエゼルが腹を決めたのは、夜も白む刻限だった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加