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男と女の、恋愛での考え方の基本を、目や耳対匂いと触感と子宮とで、説明してきたのだが、最後に、女性が名器である事を放棄した理由を、少し書いてみたい。
男が射精で最高の快感を感じる事は、基本的には変わらない。
繁殖としてのセックスは、先進国では不要に近くなり、繁殖は快感を求めた結果という地位に下がって、女性は快感を求めるのにためらわなくなった。
しかし、男の基本的な生理の仕組みは変わらない。
だから名器より、より長く快感を味わえる凡器が主流になった。
そこで新たに、より良いDNAを求めるという、女性の基本的な命題が浮上した。
これは本能であり、その為には、相手が特定される必要など無い。
その為には、子殺しでも受け入れる、本能の基本でもある。
つまり元来は、不特定多数の中から、最高のDNAを選ぶのが女性の真の姿である可能性もあるし、その中から、最高の快感を与えた相手が、特定の相手として選別されていた可能性も高いのだ。(それを愛情と言うのかも知れない)
平安時代でも、関東では『筑波山のカガイ』が有名なのだが、年に1度、このカガイで集まった人々が、合図の暗闇の中で、相手を選ばずにセックスしていたし、各地にある暗闇祭りも、その起源は『筑波山のカガイ』と同様なのだ。
しかし、男や権力者は、それでは困る。
好みの女性は手元に置いて置きたい。
それが道徳律や、1夫1婦制の起源なのだ。
平安時代では、基本的には『妻問婚』であり、男は女性の元に訪問するのが基本的であり、女性は複数の相手を持つ事も多かった。
日本は、平和な女系家族の名残が多く残る(神話の最高神は天照大御神で女性である)から、歴史に残っていたのであり、1夫1婦制に繋がる考えは、元来の女性のものとは違う事が判るのだ。
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