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「ふむ、やはり式神がいないとしっくりこないのぉ」
海馬は一人ごちると、部屋を仕切る襖を軽く“叩いた”まるで風に飛ばされでもしたかのように、襖が部屋の中へと吹き飛んだ。中には誰もいなかった。しかし、声だけは耳に届く。あらゆる方向から、押し込むように亡霊の叫びが迫る。
全身の毛が逆立ち、上下の歯はまるで噛み合わせを失った歯車のように、乱れ小刻みに打ち合う――のだろう、霊気に耐性の無い普通の人間であれば。あいにくと霧乃は、生まれつき霊気に対する耐性は強かった。十年以上に渡る鍛錬がその生まれつきの能力に更に磨きをかけている。
一時間前に宿屋といた時とまるで変わらない、落ち着き払った表情で辺りを見回す。
これは彼にとっては長所であると同時に、短所でもある力だが、今のところは長所として働いている。敵がひたすらこちら側の精神をすり減らそうという努力――全くもって無駄だが――をしている間に、こちらは敵について細かい分析を行うことができる。
と思ったのが、彼の誤算だった。
「避けろ、霧乃!」
切羽詰まった海馬の警告と不意に近づいた気配に、霧乃は反射的に飛び退った。
彼がたった今、突っ立っていたその宙にぼうっと子どもの顔が浮かびあがる。まるで肌だけを引き剥がして、空に貼り付けたかのようだった。真っ白な肌と、落ち窪んだように闇を溜める目鼻口。
だが、やはり霧乃は恐怖を感じ得なかった。澄ました顔でそれを眺め、右手の金蛇之剣を突き立てようと、足を踏み込……もうとして、体が動かなかった。床から生えた腕が霧乃の脚を絡め取っていた。構わず、霧乃は剣を振るった。幾重にも重ねられた“金鱗”が前へ前へと可動し、一気にその刀身を伸ばす。
「そらよ」
拍子抜けする程に、軽い掛け声と共に振るわれた蛇腹剣は、浮かび上がった童の顔を、上下真っ二つに引き裂き、靄のように霧散させる。
その結果に満足する間もなく、金蛇之剣を引き戻すと、血払いをするように無造作に振るって、足を掴んでいた手を斬り飛ばす。
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