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「いかがでしたか」
病院の門を入った所で、車椅子を押していた青年医師は老婦人に耳打ちする。
――主人は、全て忘れた様です。
老婦人はそう言うと、手にした青紫の花を端正な鼻に寄せ、静かに目を閉じた。
「それは良かった」
若い医師はほっと息を吐く。
――主人の忌まわしい記憶を取り除いて下さり、本当にありがとうございます。
老婦人の声は面差し同様、端然としている。
「こちらこそ、ご主人のロボトミー手術に同意された奥様の勇気に感謝します」
若い医師はまるで叱られた子供が謝る風に答えた。
――全て、あの人の為ですわ。
医師の青年は返す言葉を見つけられないまま、ひたすら車椅子を押し続ける。
花畑を離れても、そよ風に乗って甘い香りが漂ってきた。
可憐な花だが、匂いは強い。
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