1:Love Me Do

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 カウンターは五人掛け、二人用のテーブル席が四つ。十数人も客が入ればぎゅうぎゅうになりそうな狭い店だ。もっとも、恵美はまだ一度もこの店が満員になったのを見た事などないのだが。  カウンターの奥の、安っぽいカーテンで仕切られた従業員用スペースで腰から下に下がるタイプのエプロンをつける。その下は着古したジーンズと無地の長そでシャツという色気のない格好だが、マスターは気にもしていないようだった。  バイトの時間は始まったが、待てど暮らせど客が入ってくる様子はなく、恵美とマスターは自然と無駄話を始めた。マスターは四十代半ばらしい、いかにもくたびれた中年男という感じの人だった。  それでも顔立ちは上品で、若い頃はそれなりにもてたのかもしれないな、と恵美は思っている。髪は普通のサラリーマン風よりは長くぼさぼさ。恵美はバイトを始めてちょうど一カ月になる事だしと思って、思い切って訊いてみた。 「あの、マスター。この店の名前って、どういう意味があるんですか?」  するとマスターはすぐには答えず、ちょっと待って、という合図で手のひらを恵美に向け、カウンターの引き出しから二つの分厚いCDのケースを取り出した。一つは赤いケース、もう一つは青いケース。赤い方には若い白人が四人、マンションのベランダみたいな所から下を見下ろしている写真が大きく載っていた。青い方には同じような構図で、少し大人びた年齢の四人。マスターは二つのケースをカウンターの反対側で椅子に座っている恵美に見えるように置きながら言った。 「ビートルズは知ってるかい?」
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