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 お願いします。その代わりに、ぼくが生きていたことを覚えていてください。どうかお願いします。  できるのなら、親緑公園のホームレスの人たちにも、お礼を伝えてください。あの人たちにもお世話になりました。  本当にありがとうございました。 善生』 「まだ体が動かせた時に書いたみたいね」  母親が涙を拭いながら鼻をすすっている。 「お母さん……俺が医者を目指した理由……善生に教えてくれて、有り難う。俺が、善生の生きた証を立てるんだ……善生に恥じない医者になれるように、頑張るよ」  机の上に広げた善生の髪を撫でながら呟く明良の手元を、母親が覗き込む。 「善生君の?」 「うん。善生は形見になるような物、持ってなかったから……」  善生が大切にしていた物は、自身の母親と明良に貰った物だった。  四十九日の法要の後で、母親が再び明良の部屋を訪れた。 「善生君の髪、少し借りれる?」  母親は茶色く細い髪を数本手にすると、くるくると器用に小さな束を作る。そして、持ってきていた小さな六角柱の容器に入れて、蓋を閉めた。 「うーん、しっかり閉まってないかしら? 明良、しっかり閉めて」  渡されるまま明良は受け取り、螺式の蓋をきっちり締める。その蓋には細長いチェーンがついていて、母親がそのままチェーンを明良の首に掛けた。 「仕事にしていきなさい。善生君の想いを身近に感じられるように」 「! ……お母さん……有り難う……」  ――――――  明良は地元から離れた土地にある総合病院の医師になっていた。 「ただいまー」 「お帰りなさい。お仕事お疲れ様」  キッチンに立つ小さな背中が一度振り向き、すぐに視線を手元に戻す。ぎこちない手つきで包丁を操る、懸命な様子が背中からだけでも窺える。  邪魔をしないように静かに部屋に行き、部屋着に着替えてキッチンに戻る。 「手伝う事あるか?」  鍋を見詰めていた真剣な顔が緩み、控え目な笑みが顔を覗かせる。 「もうすぐ出来るから、お皿出して」  鍋から皿に盛り付ける腕には、細いながらもしっかり筋肉がつき、かつての骨張った面影はなりを潜めた。しかし、成長期にしっかり栄養の摂れなかった体は、相変わらず小さく骨も細い。それでも十分健康であるし、茶色の髪の艶も良く、可能な範囲でベストな状態にしたと言えるだろう。
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