咲き染めし桜【緋寒桜】

2/10
前へ
/298ページ
次へ
私が、彼…小田切聖に、初めて会ったのは、一本の桜の樹の下だった…。 あれは、…街の桜の樹が、まだまだ、固い蕾だった頃の事。 あの頃の私は…生活のために、朝から晩まで、アルバイト三昧の日々だった。 上京する時に、自分名義の通帳から、下ろして持ってきた、手持ちのお金は、あっという間に、残り少なくなってしまい、この先、ずっと東京で、暮らしていこうと思えば、アルバイトしなければ、生活していけなかったから…。 アルバイト先の工場から、幼なじみと、一緒に住んでいたアパートまでの通い馴れた道の途中…。 そこは、ほんの時たま、通り抜けるだけの名前も知らない公園。 数日前、そこに、まだ寒く、春は、もう少し先だというのに、蕾が、膨らんだ、桜の樹を見つけた。 …その夜は、バイト先で、トラブルがあって、私も、他の子達と一緒に、残業させられて、帰りが、遅くなっていた…。 もう体は、へとへとで、今にも、倒れ込みそうなのを、必死に気力で、カバーしてる感じだった。 そんな、私の目に、あの桜の樹が、飛び込んできた。 「うわぁ!咲いてる!」 感激した私は、樹の下で、足が止まった。 ぽつぽつと、咲いている薄紅色の桜の花を、じっと見つめていた。 どれくらい見ていたのか… 「…寒くないの、君?」 いきなり声をかけられて、びっくりする。 側に、人が近づいて来たことさえ、気付かないくらい、私は、桜を見つめていたみたい…。 声を掛けてきたのは、すらりとした、長身の青年だった。 「君が、何をそんなに長い時間、一生懸命、見上げているのか、気になったんだけど…。 咲いてるのって、桜?…なのかな…。」 自信なさ気に、彼は、聞いてきた。 「…緋寒桜…だと、思います。」 桜を見つめたまま、私は、答えた。 「緋寒桜?…初めて聞いた名前だ。」 「…この子達の種類は、少ないし、街に、植えてあるのは、大抵、春に咲く種類の桜だから…。 知らないのが、当たり前です。」 「そうなのか…。納得したよ。」 そう言って、私の隣で、同じ様に、桜の枝を見上げていた。
/298ページ

最初のコメントを投稿しよう!

231人が本棚に入れています
本棚に追加