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僕の父は元映画監督で、母は今も現役バリバリの女優だ。しかし僕たちが家族だったのは、僕が中学へ上がる直前までだった。といっても、それまでに何度か修羅場はあったのだが。
それでも離婚が決定するまで、母は僕と弟の直人のことを心から愛してくれていた。と、思っていたのだが……。
離婚後、僕はすぐに東防中の寮に入ったから仕方ないにしても、母は直人にすら一度も会っていない。
手紙がくるから寂しくない、と直人は言っているが、それを素直に信じるほど僕も子供じゃない。
元来寡黙な性質であり、よく目立つ騒がしかった母がいなくなってから益々その傾向が濃くなったように感じられる父と二人だけでは直人も寂しいだろう。
長期休暇はできるだけ家で直人と過ごすようにしているが、直人は寂しいというようなことは一言も言わない。
だがその態度が幾分か人懐っこくなっているのは、隠しきれない寂しさのせいであろう。本当に、よくできた子で涙が出そうになる。
これ以上離れていると、僕の方が直人成分の不足でじんましんが出そうだ。
まあ、直人も来年から東防中に入学するつもりらしいので、あと少しの辛抱だ。
直人のことは大切だが、話を戻すと、僕の疼痛の理由、それは母の愛への疑惑である。
母が家を出るその時まで、彼女が一生懸命に母親であったことに対して疑いはない。
それなのに、どうしてそのあとも同じように母親であり続けてはくれないのか。
大人の事情がわからない歳ではないが、どうしてもそう思ってしまう。そう思ってしまう自分が、嫌だ。だが想像は止まらない。
映画監督であった父との結婚は、彼女のキャリアに確かなプラス効果を表した。妻として、母親としての理想像。
父との離婚に及ぶ頃には、彼女は芸能界の中で確固とした立ち位置を確立していた。彼女はまさしくサクセスストーリーの真っただ中を突き進んでいる。それは、彼女だけの物語だ。
ケイトがうっとりと惚れ込む、愛しい子供たちと共に歩く物語とは違い、彼女一人の。
つまり母にとって、子供である僕たち、あるいは夫であった父は、ただ彼女の物語を盛り上げるための脇役でしかなかったのではないか。
その考えは僕の胸の奥深くを、ねっとりとした幾重にも重なる蜘蛛の巣のように緻密に覆っている。
僕はただの脇役だから。
鏡に映る母親似の線の細い自分の顔を見て、気づくとそう呟いていた。
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