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「じゃあこの病院に、あの大虐殺から生き残った人がいるのは本当なんですね?」
「いいえ。正しくは、生き残った人がいた、ですわ。」
え?
私は首を傾けた。
「いなくなってしまったんですよ。ある日突然、跡形も無くね。」
助け出された少女は衰弱と精神的なショックが大きく、この病院に入院することとなった。
少女は笑うことも話すことも無く、何故かいかなる時もタマゴを肌身離さず大切にしていた。
少女からタマゴを取り上げようとするとひどく暴れるので、やがて人々はあきらめた。
当時まだ若かった看護師長は、タマゴが腐りかけると夜中そっと少女の病室に行って、枕元のタマゴを新しいものに交換していた。
ある夜、彼女が部屋に入るといつもは寝ているはずの少女が起きていた。
驚くことにその時少女は正気だった。
少女は彼女に微笑むと、どうやって自分が虐殺をまぬがれたのかを話してくれた。
『もうすぐよ。とうとう孵りそうなの。だから今夜は…お願い』
少女はしーっと人差し指を唇に当てていたずらっぽく笑った。
「でもね、すごく悲しそうにも見えました。だから私はそのまま戻ったんです。
翌朝、担当医に彼女が正気に戻ったと伝えて、一緒に病室へ行きました。
そしたら。」
病室には二つに割れたタマゴの殻だけが残されていた。
「何処に行ってしまったんでしょうね。」
「さあ…警察にも見つけられませんでした。
当時私も担当医も疑われて大変でしたよ。
もしかしたら、本当に天使が孵って…」
「まさか!」
「冗談ですよ。
ただ、生きているか死んでいるか判りませんが…。
いかなる場所であれ、あの子が幸せでいてほしいと…。
それだけを祈っています」
髪の色、目の色、肌の色。
些細な違いで迫害を受け、殺された多くの魂に。
私もしばし祈りを捧げた。
おわり
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