6人が本棚に入れています
本棚に追加
餞別
「黒岩さん、残業ですか?」
伊藤恵子は、そう言いながらタイムカードを手にとった。
「うん。ちょっと急ぎの仕事があってね」
私は振り返り答える。
「そうなんですか。大変ですね、頑張ってください。じゃあ、お先に失礼します」
タイムカードを押した伊藤恵子は、そのまま振り返らずに会社を出ていった。
コツコツコツ……。
彼女のヒールの音がだんだんと遠ざかる。そっと外を覗くと、伊藤恵子の後ろ姿が遠くに見えた。
これで、今会社にいるのは自分だけとなった。
私はそのまま自分の席に戻らず、たった今会社を後にした伊藤恵子の席へと向かう。
バフン! スーハースーハー……。
まだ温もりの残る椅子に顔をうずめて、深呼吸をする。
ああ……ついさっきまで、ここに伊藤恵子の尻が乗っていたのだ。
最初のコメントを投稿しよう!