「よろしく」

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一夜明けて。朝から昼に変わろうとする時間帯にあっても、グレンはベッドに籠っていた。昨晩逃げるようにして眠りに入ったものの、心身にのし掛かる重圧感が取れないのだ。 妹らからは暢気、だとか能天気と言われる彼でも、悩むことは2つだけある。 1つは色恋沙汰。気になる女性に対して吃ることなく声を掛けられるようになったのは最近のことだ。今でも会話しているとたまに意味不明なことは言ってしまうけれど。 そしてもう1つは自分が皇太子であること自体だ。幼い頃からこれは変わらない。 あたかも何も気にしていないような態度を取りつつも、ずっと不安を抱えて生きてきた。自分はもっと自由に楽しく生きていきたいのに、持って産まれた身分がそれを許さない。 皇帝になる度量なんてあるわけ無いのに。 「皇族になんて、産まれたくなかったな……」 『その時』が明確に近付いている現実を知って、本当に逃げ出したい思いだった。グレンは大きな体を隠すように布団を被り直そうとして―― 「グレン様。入っても宜しいでしょうか」 ノックと共に聴こえた冷淡な声に目が冴えた。昨日再会した幼馴染みの声だ。 何の用だろうがどうでも良い。声に背を向けてぞんざいな返事を返す。 「好きにしてくれー」 「では失礼します」 ドアが開いてもなお背を向けたままなので、シオンの様子は見えない。カツカツと革靴らしき足音がすぐ近くで止まった。 「グレン様、まだ眠ってらっしゃるんですか」 軽蔑も呆れも無い無機質な声は多少の救いではあるが、今は誰とも話したくない。用件だけ聞いてさっさと帰って貰おうとグレンは答えた。 「別に良いだろ、やることもないんだから。何か用なのか?」 「ええ、改めてご挨拶に参りました――が、その前に」 シオンが伸ばした右手が布団を掴む。 「いつまで寝たふりをしてるんですか」 「っおお?!」 言うが早いが、彼女は恐るべき腕力で布団を剥ぎ取った。突然の暴挙に驚いたグレンは咄嗟に跳ね起き、抗議しようとしたが。昨日とは全く違う幼馴染みの姿を見上げて固まってしまう。 黒を基調とした軍服に身を包み、肩甲骨辺りまである赤黒い髪を首の後ろで無造作に一纏めにしている。到底年下とは思えない落ち着いた佇まいだ。 暗殺者のような風貌だった昨日とは打って変わって、貴族出身の女軍人、と言った様子。 冷たい印象を与える深紅の眼がグレンを見下ろす。
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