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俺は翼に胸ぐらを捕まれた状態のまま、訝しげな表情を浮かべる翼の頭へと手を伸ばし、少し色素の薄い翼の柔らかい髪を、わしゃわしゃと撫でた。
「な、何すんだよ!」
羞恥心からか翼の頬は赤みを帯び、翼は俺のワイシャツから手を放し、頭に乗る俺の手を乱暴に振り払った。
俺が苦笑を漏らしつつワイシャツの襟元を直していると、口をへの字に曲げた翼は、ベッドの上で胡座をかき、ぷいっと俺に背を向けた。
俺は、いつもの黒い丸椅子をベッドの横に引っ張ってきて座り、一度瞼を閉じて深く息を吸い込んで、息を吐いた。
「……俺さ、昔から飛行機のパイロットになりたいって言ってただろ」
意を決し、瞼を開け翼の背へと語りかけると、返事はなかったけれど、翼の肩がピクッとはねた。
その反応に後押しされるように、俺は続けた。
「けど、就職することにしたから」
「はあ!?」
一拍も置かず声をあらげた翼。
翼は胡座をかいたまま腰の前に右手をついて、勢いよく上半身をひねり俺の方へと向けた。
大きく見開かれた翼の瞳は、翼の戸惑いを表すように、大きく揺れていた。
「俺さあ、パイロットじゃなくて、飛行機の整備士になりたくなったんだよ」
「何を、」
「就職にしたのも、その為のステップとしてなんだけどさ」
「……」
「だから今は、好きでもない女とかと付き合ってる暇ねえの」
「……嘘、つくなよ」
「あん?」
「だって、兄ちゃんはずっと、パイロット……だから俺は、ずっと……」
不自然に途中で言葉を切った翼は、開いていた口を歪ませていくと、再び俺に背を向け、両手で顔を覆った。
「俺の夢が変わっただけなんだから、気にすんなよな」
対したことじゃないんだと主張するように、俺はあえて軽い口調で話していた。
「お前の為じゃなくて、俺の為だから」
「……」
「翼なら、応援してくれんだろ?」
「……」
「それに、もう採用通知もらったんだぜ? すげえだろ」
「……」
「翼」
「……」
「俺はお前に、祝ってもらいたいんだけど」
震える翼の背中と、鼻をすする音。
窓の外から、少し掠れた音の、五時を知らせる放送が聞こえてきた。
「兄、ちゃん……おめで、とう」
「おう、サンキュー」
卑怯な言い方をしたと思いつつ、これで良かったんだと、俺は静かにもう一度、瞼を下ろした。
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