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春先の夕鈴大学は、桜並木に彩られてそれはもう華やかな事この上ない。
ひらり舞い散る花弁が、風に舞って空へと飛び立つ。
当て所ない旅は、だがすぐに終わって地面に降りた……たずに女生徒の髪に音もなく着地した。当の彼女はそんなことにまるで気付かないまま、立ち漕ぎで自転車を操っている。
ほんの少しだけ上気して、赤みの差した頬。薄い茶色の髪をショートにしているが、根元の部分は染まり切れずに黒髪になってしまっている。春先の装いとしてはやや暑そうな、白色のワンピースに灰色のカーディガン。
(遅刻、遅刻しちゃう! でも疲れた!)
唇をかみしめながら必死の形相で自転車を漕ぐ彼女は、玉藻雫(たまもしずく)。この春無事に大学一年生を――ぎりぎり進級した、夕鈴大学医学部看護学科の生徒である。
「もっちゃん、おはよー」
「あ、おはよう! じゃね!」
友人の挨拶――と称していいのか――もそこそこに、スピードを殺すことなくカーブを曲がる。危うく向い側から来た生徒と衝突しそうになるが、ぎりぎりで回避して目的地までの道をひた走る。
そして、間に合うことなく無情にも授業開始のベルが鳴り響く。それでも彼女は諦めずに全力で自転車を漕ぎ続けるのであった。
「……んで、一限間に合わなくて教授に怒られたってワケ?」
「んー、低血圧すぎて朝弱いのー」
一限も終わり、玉藻は食堂にいた。自身が書いた、ミミズが這ったような字を必死に解読しながら、面前の人物に全く視線を合わせることなく言い訳を並べる。
それが世間的に全く通用しない言い訳である事を彼女は熟知している。
「俺もそこまで朝弱くないぞ……低血圧だけどな」
「うっさい蒼兎。あたし今自分のノートと闘っているのが分からない?」
思いもよらない形での逆切れに、玉藻と相対する人物――静波蒼兎(しずなみあおと)は思わず噴き出した。茶色に染まった前髪から時折覗く黒色の双眸が、おかしそうに三日月を描く。
茶髪で右耳にピアスを開けた青年と、ほぼ黒髪ショートで清楚なイメージを放つ少女――玉藻は童顔なのだ――、周りから見たら、兄弟のようにも、恋人のようにも見える二人。
だが、事実は違う。
二人はただのサークル仲間だ。
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