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(……あ)
開けた空間に一歩足を踏み出した途端、蜂蜜のような甘い香りがふわっとアーラを包み込んだ。闇に対する恐怖心が一瞬だけ紛れ、その微かな残り香を追うようにしてアーラの足は進んでいく。
時が経つにつれ、アーラの目は闇を呑み込むように視界を広げていった。壁にかけられた梟の絵、蝋燭すら立っていない燭台、猫足のソファとテーブル。奥にも扉らしきものが見える。どうやらここはリビングに当たる部分らしい。高い天井ぎりぎりまで伸びた大きな窓には分厚いカーテンが引かれており、光を少しでも入れないようにぴっちりと閉められている。
元々アーラは夜目がきく。他のシスター達が礼拝堂の暗さに蹴つまずく一方で、暗さなど意にも介せずすたすたと歩いていることなど日常茶飯事であった。しかし、こんなにも詳細に色々見えたであろうか。その気になれば濃い色さえもわかってしまいそうで、不思議な現象にアーラは小首を傾げた。
壁についていた手を放し、うすぼんやりと見えるテーブルへと歩いて行く。もはやアーラの視界はこの部屋を自由に歩き回れるほどに様々な物が見えており、暗闇はすでに恐ろしいものではなくなっていた。
テーブルには、花瓶が置いてあった。そこには枯れかけてしなびたバラが飾ってあり、テーブルの上には何枚ものバラの花びらが散らばっている。自らの重さで頭を下げているバラの花にそっと触れると、花弁が一枚はらりと落ちた。
(ああ、そう言えばレップスさんがバラを届けてって……)
しかしそれも、数日前の話だ。陽の光も当たらないここへずっと飾っていたのだとしたら、枯れて当然である。
クロイツはきちんとバラを受け取り、枯れきるまで飾っていた。花などすぐに捨ててしまいそうなイメージを抱いていたアーラにとっては、衝撃的なまでに意外なことだった。
あのヴァンパイアは、慈しむ心を持っている。
何か自分は、重大な思い違いをしているのではないか。アーラが慈悲にも似たそんな感情を沸き起こさせた――瞬間。
――ドオォオオン!
「ここで何をしている、シスター」
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