110人が本棚に入れています
本棚に追加
クロイツは入り口とは反対側の壁に堂々と置かれたガラスの棚へ、大股で歩いて行く。その棚の中から、赤い液体の入った水差しとグラスを取り出した。水差しは精緻なカットが施されたガラス製で、一目見て高級なものだと分かる。
アーラは思わず、背筋がゾッと凍りついた。赤い液体。まさか、これは……――――
「……ん」
怯える彼女の目線に気付いたクロイツが、手に持っている水差しを軽く持ち上げてみせる。すぐにアーラの思案を読んだクロイツが、酷薄そうな笑みを浮かべて彼女を見下ろした。
「ふ……まさかお前、これが血だと思ってはいないだろうな」
アーラはたじろいだ。そして二、三歩後退する。セラフは、クロイツと血を売り買いしていると話していた。そしてクロイツは、血を、飲む――
これほど懸念材料が揃っているのに、血ではないと言われる方がむしろ信じられなかった。
そしてクロイツが、楽しそうに口を開く。
「まぁ、血ではないが」
……水差しの蓋を開けると、そこから立ち昇ってくる香りは明らかにアルコールのもので。
アーラは阿呆のようにあんぐり口を開けて、まじまじと水差しの中身を凝視した。
「これ……ワイン?」
冷静になって改めて見れば、それはどう見ても赤ワインだった。グラスへ注がれていく鮮やかな赤が蝋燭の火に踊ってきらきらと輝いていた。
「お前は……バカだなぁ。血液は長く空気に晒していると劣化して悪くなっていく。届きたての血液でも充分空気が混ざって不味いのに、それ以上放置していく筈がなかろう」
完璧にバカにされている。というか、バカと言われた。アーラはゆるゆると昇ってくる羞恥心や屈辱的な心を必死に堪えているしかできない。確かに、勝手に血液と勘違いして身構えたのはアーラの方なのだから反論の余地もない。
ヴァンパイアは笑う。意地悪に、性悪に、アーラをからかうように。
笑いながら、アーラの前を横切ってソファに深々と腰を下ろす。すぐ脇にある小さなテーブルにグラスを置くと、ワイン入りの水差しを見せつけるようにフリフリと振ってみせた。
「で、何しにきた」
再び問いかけられた質問に、今度は躊躇う理由などなかった。
「こ、この聖書をお返しにっ!」
ズイと押し付けるように、聖書を突き出すアーラ。ワインをグラスに注いでいるクロイツは、そちらを見ることもない。
「……それはもう、要らん」
最初のコメントを投稿しよう!