Convivium

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 あまりにも呆気なく突き放すように言われた言葉に、アーラは聖書を差し出した格好のまま固まった。まさかわざわざ届けにきたのに「いらない」と言われるとは思っても見なくて、しかし差し出した手前引くのも格好悪いし、動くに動けなくなってしまう。 (こ、こういう時ウルラさんなら優しく受け取ってくれるのにッ……!)  人間で執事の彼と、残虐で冷徹なヴァンパイアを比べてしまうこと自体間違っているが、今のアーラにとって人と吸血鬼という意識の差を感じている暇などない。それよりも、とてつもなく恥ずかしい。  だが、気まず過ぎて逃げ出したくなる沈黙はそう長く続かなかった。コン、とわざととも思えるほど甲高いグラスを机に置く音が聞こえて、アーラは反射的に顔を持ち上げる。その音が魔法のように、アーラの強張りを解いてくれたのだ。顔を上げた先には、からかうでもなくバカにしたでもない、真剣な眼差しをしたクロイツが自分を見ていた。 「お前は、シスターなんだろ」  アーラは無言のまま、聖書を抱きしめつつコクコク頷く。その答えで納得したかのように、クロイツは眉を寄せた渋い表情で小さく何度も頷いた。それは自分自身に何かを確認させているような作業であり、アーラは何故クロイツがそうも難しそうな顔をしているのか皆目見当もつかない。 「ならば、神の宿る寄る辺がいるだろう。あいにくとこの城に教会や寄り代はない。それで我慢するんだな」  素っ気なく言い放つ、彼の言葉の中に。  どうしても気のせいと片付けることのできない、優しさや、気遣いや、配慮が見て取れて。  アーラは、目眩を感じてしまうくらいの衝撃を受けた。 「……これ、は……わたしの為に?」  わざわざ用意したというのだろうか。平然と聖書に触れていたクロイツに信仰が効かないことは分かっていたが、それでも神への賛辞は神から背を向けた者にとってあまり気分の良いものではないはず。その感情を越えて、アーラ一人のために聖書を用意した?  そう考えると、この聖書がよく読み込んである理由も頷けるというもの。きっとクロイツは、どこかの教会から拝借してきたに違いない。  ――アーラが必死に考えた、その予想を。しかしクロイツは、艶やかなほどの笑みで打ち砕いた。
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