表紙を手に取って。

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「理事長は?」  磨き抜かれ時代を蓄積した木造の内装と、それに調和した幾つかの調度。両開きの扉と対面に設けられたガラスの窓際から、低く重い問い掛けが室内に響く。声量が強調されているわけではなかったが、声色には空間を渡り震わせるエントロピーがあった。それは不可視であるものの、圧力という確固たる実感を伴いながら聴く者に染み込んでゆく。  窓から差し込んだ陽光を浴びるその姿は、偽ることなく偉丈夫であった。天井に届こうかという身の丈に、逆三角形の上半身を形作る肩幅と腰周り。日差しをシルエットで塗り潰す仕立ての良いチャコールのスーツは、恐らくオーダーメイドの一点物であると思われた。 「先程、11時20分の便で成田を発った模様です。ヒースローまで半日以上は機上の人かと」  偉丈夫が生み出した影に隠れていたかのように、扉の脇で控えていたもう一つの人影が腰を折った。声音は比較的若い女のものであると伺えるような、瑞々しくも熟れた響きの色合いである。彼女もまたスーツで身を包んでいたが、色は薄めのグレーであり下半身はタイトスカートであった。左腕には薄いファイルを抱えており、それらの身なりと態度から秘書のような趣がある。 「予定通りか……今日は良く晴れている。よもや欠航や遅延などあるまいが」  女の報告を聞き、偉丈夫が振り返る。体格と声が相まって、さながら巨石が身じろぎしたかと錯覚しかねない様相であった。室内の照明が灯っていないため、洞窟の入口を思わせる翳りが彼を覆っている。 「関係各所の動きはどうなっている?」  振り向いた彼の容貌は定かでない。頭が窓枠よりも高く光が当たらないためだ。辛うじてオールバックに整えられた頭髪だけが、着衣に近い木炭のような色彩を主張していた。 「教職員への懐柔はほぼ成功しており、結果として本部キャンパス文系学部長・学科長への牽制となっております」 「懐柔とは不本意な物言いだな。説得と称してもらおうか、君」  巌の如き音のプレッシャーが彼女に降りかかる。 「失礼……いたしました……」  気圧されて背筋を強張らせた彼女は、懸命に喉を開き言葉を搾り出した。 「まあ、良い。ところで『ほぼ』と言うからには、例外がいるのだな?」 「はい。僅かではありますが若手の教師を中心に。書類でリストアップしてあります」 「ご苦労。後で目を通す。事務局は?」 「教務部と経理部は完全に掌握できました」
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