過去【前編】

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【椎乙(過去)side】 ポツリ、 何かが頬に当たった気がして上を見上げると、薄暗く曇った空から僅かに雨が降り出していた。 しばらくすると雨は次第に強くなっていく。 そんな中、傘も差さず無気力にフラフラと街を彷徨う俺はさぞかし不気味だっただろう。 もう、どうでもよかった。 康太には結局嘘だと言った。冗談だったって。 たちの悪い冗談だと怒られた。…怒らせた。 ……気付いて、ほしかった。 なんて思うのは俺の我儘だろうか。 「いっそ死んでやろうか」 誰かに言う訳でもなく、小さく呟いた言葉は雨の音で掻き消される。 康太が悪いんじゃない。 少なくともあいつは俺のために動こうとしてくれた。 それを俺は、綾乃にバレるのを恐れてあいつの好意を無駄にした。……最低だ。 こんな自分に嫌気が差して、一人になりたくて、夜の街を彷徨った。 その場に立ち尽くす。 ああ、涙さえ出ない。 「ねぇ君、一人?」 不意に声をかけられて顔を上げようとした時、視界の端に長い黒髪が見えて思わずそいつを突き飛ばした。 そいつは「うわっ」と言って尻餅をつく。 上の方で一つに束ねた長い髪が揺れる。 普通の男なら「大丈夫?ごめんね」とでも言いながら手を差し出すんだろうが、俺にはそんなこと出来ない。 目の前の少女から距離をとって睨みつける。 綾乃のせいで、いつからか女そのものに恐怖を抱くようになっていた。 近くに女がいると思うと嫌悪から震えが止まらず、変な汗が出る。 握った拳にもじわりと汗が滲んできた。 少女は俯いたまま動かない。 泣かせてしまったのか、肩が微かに震えている。 悪いとは思いつつ、俺は少女を放置してその場から離れようとした。 ーーけれどボソリと呟きが聞こえて足を止める。 「…………パンツ濡れた…」 「…………」 何言ってんだこいつ、と振り返ると自分のお尻を押さえて涙目になっている少女。 そこで初めて少女の顔を確認した。 俺の身の回りの女は綾乃くらしいかいないから、ついあいつと比べてしまう。 綾乃は決して顔が悪いわけじゃない。 性格はアレだが、本性を隠しているため学校の奴らからは評判がいい。それも綾乃のあの容姿があってのことだろう。 けれど、目の前の少女の姿はそんな綾乃が普通に見えてしまうほどに浮世離れしていた。 .
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