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僕は深く息を吐き、椅子に腰掛けた。
落ち着きはだいぶ取り戻してきたが、足はまだ震えていた。
自分の気が触れたかもしれないということに対する恐怖はあまりなかった。
ここ最近僕は読書に没頭するあまり寝ていないのだ。睡眠不足が脳に影響を与えることは知っている。
世界の一大事と一時的な自分の異常、どちらがマシかと言われればそんなものは明白なのだ。
部屋に注ぎ込む橙の光に包まれながら、ふと外に出てみようと思った。
『思い込み』だと思い込みたくて、その実感が欲しかったのだ。
椅子の背に掛けてあった緑のカーディガンを羽織り、腕時計を腕にはめる。外に出るのは何日ぶりだろう。
ずっと、本の世界に引き込もっていたから。
それにしても。
本の中に求め続けた奇妙な物語の入口が、こんなにも唐突に訪れるなんてーー
誰もいない道を歩く。"真夜中"と同じような静けさだ。もしこれが"本当に"異常事態だったなら、騒いでいる人がいるはずなのだ。
僕の後ろに伸びる長い影。
この時間に点いている筈の街灯の明かりは……消えている。
よくよく見ると、周りの建物もおかしい。見覚えのある風景なのだが全体的に古ぼけているというか所々崩れているのだ。
普段利用するゴミ捨て場では、異臭を放つ何かをカラスが熱心に突ついている。カラスは僕に気が付くとかぁかぁと鳴きながら夕空に羽ばたいた。
姿が見えなくなった後も鳴き声は消えない。
「やめてくれ。世紀末みたいじゃないか」
僕は頭を抱えて走り出した。
外に出たことを後悔していた。
家で大人しくしていれば良かった。
こんなの、現実だとしても空想だとしても尋常じゃない。
しかし元来た道を戻る勇気はなかった。もし家に帰っても元通りにならなかったら、と考えると恐ろしくてたまらないのだ。
気付いたら交差点に出ていた。全ての信号から光が消えている。
僕は息を切らして立ち止まった。こめかみからは汗が流れている。
交差点の中央に、誰かいる。
最初はただの影かと思っていた。
膝下までくる長い黒のコートに、黒のタイツ、黒の革靴。
この異様な世界の中で、少女はただ佇んでいた。
おかっぱの黒髪を揺らして、少女はゆっくりと振り返る。
闇のように深い黒の瞳が、僕を捉えた。
本の挿絵から抜け出てきたような、幻想的で、端麗な顔立ち。
一瞬だった。
吸い込まれるように、恐怖を打ち消す程にーー僕は彼女の虜になった。
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