懐古

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松山の夏は思いの外、暑い。 そう広くはない彼の庭で、遅咲きの白蓮と早咲きの曼珠沙華が揺れている。 「なぁ正岡」 盆の湯飲みに手をかけていた彼は、動きを止めて私を見る。 「僕は、最近文学に目覚めてね。何かを始めようかと思うのだ」 「ほお…お前が文学ねぇ」 にやにや笑う彼に私は尋ねた。 「僕に俳句は出来るだろうか」 「無理だね」 間髪いれず、彼は即答した。その様に暫し唖然とし、私は漸く言葉を絞り出す。 「…何故、そう言いきれる」 「お前は頭が良いから」 「…は?」 投手の直球を警戒していたら、いきなり後ろから、それも審判から思わぬ送球を受けたような気分だった。 相当微妙な顔をしていたであろう私に、彼は笑った。 「言っただろう?俳人は"目"が命だ、とな」 「僕にはその"目"がない…と?」 「あぁ。ないね」 彼は笑いながら湯飲みをくわえ、私を上目使いに見上げた。 「きっとお前は考えてものを書く種類の人間だ。頭はいいが、勘はない」 「言ってくれる」 「そう睨むな。逆に言えば、俺は考えられんのだ。小説みたいなものは絶対書けない」 小説。その言葉は私の頭の片隅にいつまでも残ることとなる。 「小説……。小説か………」 1人呟いて湯飲みを手に取った時だった。どんどん、と戸を叩く音に同時に振り返る。 「客人か?」 湯飲みを置く私の隣で、彼が小さく舌打ちをしたのが分かった。 戸口を叩く音は続き、合間合間に何度も名乗りをあげていた。 「正岡先生!出版社の者です―――」
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