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「古河義邦、香山大学文学部思考文化学科一年……同じ学部か」
コンビニの裏で石田さんはおれが出した学生証を凝視している。
指先がきれいだし、近づかれるといい匂いがする。優しい柔軟剤の匂い。思わず目がトロンとしてくる。
「……部屋が同じ方向なのは分かりました。ただ、何で私から逃げたんですか」
「…………」
「もしもし?」
「………っは、す、ません!!」
いけない、いい匂いと綺麗な声に夢中で全く話を聞いていなかった。
危機的状況なことに変わりはない。頬をぱしぱしと叩く。
「埒があかない……大学事務室に行きましょう」
「やっ、ちょ、待っ、て!」
「何ですか、理由があるなら言ってみてくださいよ!」
石田さんが憐れなものを見るように怒りを込めてこちらを見ている。
静かに怒る様子も………っいけない。何とかして理由を……。
「あな、あなたが……その、あんまり綺麗だったので……」
「………………」
「あっ、すいませんこれは違っ!」
石田さんがぽかんとしている。なんと無垢で愛らし………いやそうじゃない!これでは、おれの密かな好意がバレてしまう!!
「つまりあなたは、その、何だ………」
あああああいや違う、違うんだ。やめてくれおれの想いを見抜かないでくれ、おれはこのままでいたいんだあなたをゆっくり眺められる位置でいたいんだ………………!
「女の尻追っ掛け回してるしょうがない男ってこと、か」
綺麗な顔を崩し呆れた表情で彼女は笑った。
笑った。笑った。笑った。二ヶ月見てきて、ほぼ初めてだった。
「まぁいいです、私は別に。話題になってる不審者とも違うようだし」
「え………っあ、いいんですか」
彼女はおれが感動で放心しているうちに、背を向けて帰ろうとした。
良かった、これからも静かに眺めていられる可能性が出てきた。ほっと胸をなでおろし、ありがとうという気持ちを込めて彼女の背中に頭を下げた。
彼女は振り返って、また少しだけ笑った。
「じゃあね、変態くん」
うん、うん………これで、よかったのだ………
多分……………。
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