bar『月の海』にて

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最近、ようやく彼が『拓海』という名だと知った。 本人から聞いたわけじゃない。他の客が「拓海さん」と呼んでいたのを聞いたからだった。 もう何ヶ月も『月の海』に通っているのに、俺には拓海にさえ、自分から名前を聞く事ができなかった。 だから当然、拓海の姉である……あの人の名前すら知る事ができなかった。 何をそんなに緊張してんだって自分でも思う。あの人との会話は弾む。彼女の前だと次から次へと言葉が出てくる。 それをいつも楽しそうに聞いてくれる彼女。 でも名前を聞こうとすると、どうしても心臓の鼓動が早くなる。 こんな状態で、俺はポケットに仕舞ってある『もの』をちゃんと渡せるんだろうか。
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