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まだ肌寒い緑の香る澄んだ微風。けれど陽射しは目に痛いほど鮮やかだ。睫毛に付着した水分に反射した日光は、視界に虹色の欠片を散らしている。
──ひやりとした手触り。
それは鳥の囁きよりも可憐で。
なのに虫の嘶きよりも凛々しく。
そして春風のそよぎよりも美しい。
まるで葉音に重なるように。
まるで、土に染み入るように。
まるで、せせらぎと遊ぶように。
その音色は──歌は、流れるように、紡がれていく。
「──────、ぅ」
かろうじて喉から漏れたのは呻くような声。もしかしたら僕は呼吸することさえ忘れていたかもしれない。
不思議な感覚だった。
まるで知らないということは分かっているけれど、分かりきっているけれど、それでも僕は、この音色をずっと昔から──否、“生まれる前から知っていた気がする”。脳内の記憶領域ではなく、直に、直接、魂自体に彫りつけられていたような、そんな気がする。
何かをつかもうとするように、音の在処へと手を伸ばす。けれど音色は指の隙間から零れ落ちていく。それは当たり前だ。形のない存在を、掴みとることは叶わない。有形が無形に並ぶことはない。
けれど──間違いなくその行動のせいで、歌は唐突に消えた。
「────!」
切れ長の瞳に気圧される。毛先がくるん、と丸まった背中までの艶髪。陶器のような真っ白の肌。胸元にリボンの装飾が施された黒いワンピース。体つきからして小学校の高学年くらいだろうか。黒と白のコントラストがかなり大人っぽい雰囲気だけれど、肩から下げた黄色いポシェットのおかげで全体的には随分幼く見える。
気付けば目の前に、少女が現れていた。
いや、たぶん違う。きっと今の今まで僕が気付いていなかっただけで、さっきからいたんだと思う。歌が止んだことによって、僕自身が我に返っただけなんだと思う。
だけど残念ながらそんな主観的な事実はこういう場合あまり関係がない。関係があるのは、客観的事実。第三者的位置から見た事実だけである。それがたとえ真実でなかったとしても、だ。
そしてその観点から今の僕の状況を正確に描写した場合──。
「……なるほど、世の中には私のような外見の女性しか愛せない残念な男性がいるとは聞いたことがありますが、実際に、しかもこのような公の場で迫られたのは初めてです」
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