―終章―

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 快適とは程遠い蒸し暑い廊下にて、若い男女が向かい合う。開け放たれた廊下の窓を通り抜け、生温い風がセミの鳴き声を運んでくる。 「その」大介が切り出す。「ごめん。せっかく火傷痕が消えたのに」 「いいの。私ずっと顔に包帯巻いてたから、寧ろ巻かない方が落ち着かなくって」 「そ、そうか……」  そんな言葉は、自分に気を使って出た台詞だと大介は思ってしまう。火傷痕などない方がいいに決まっている。だが、叶はきっとそう思ってもその思いは表には出てこないのだろう。何故ならば、彼女は言技“泥中の蓮”の発現者なのだから。  叶は怒っていない。それが辛かった。怒鳴り散らされた方が増しだと、今まで何度思ったことだろうか。 「ねぇ大介君。そういうのもうやめない?」  困り顔で叶が提案した。彼女の言う“そういうの”とは、怒ってほしい大介に対し怒ることができない叶という構図のことを指している。 「私は言技のせいで怒れないんじゃない。怒ってないから怒らないの」 「でも」 「でもじゃないのっ! このまま気を遣われて一緒にいる方が私は嫌だよ。それにこの火傷は……」  叶は途中で口を噤んでしまった。後に続く言葉は「私と大介君を結び付けてくれた繋がりだから」。しかし、それを言ってしまうと後には引けなくなる。  ビルの地下室で監禁されていた時、純粋な七郎に大介のことが好きなのかと尋ねられ、叶は素直に気持ちを白状した。このまま言葉を続けると、おそらくその気持ちは気付かれてしまうであろう。  自分なりにアピールを続けてきた叶であったが、いざ伝えるとなると中々思うように言葉が出て来ない。この気持ちが受け入れられるにせよ拒まれるにせよ、今の関係には間違いなく変化が起こってしまう。  それはとても怖いこと。怖くて怖くて仕方がないが、伝えたくて堪らないこと。 「どうした叶。顔赤いぞ?」 「……あのね大介君。実は」  叶は全てを伝えようと意を決し口を開いたのだが、大介は人差し指を己の唇に当てて「静かに」というジェスチャーをしている。もう一方の手で指差しているすぐ側の壁には――人の耳が生えていた。  大介が耳を掴み、思いきり捻り上げる。すると、廊下の角を曲がった辺りから理将の悶絶の声が聞こえてきた。
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