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勿論、この三つが完全に金集めの為だという文言に抵抗する人は多いだろう。しかし、筆者の感覚としてその三つが『世界最高峰とされなければならない理由がそれ以外に想起できない』のだ。
誤解を恐れずに言うならば、それは『世界最高峰としなければ存続できないからそうなった』としか言いようがない。
オリンピックが平和を標榜しながらも国旗を上げているのも(本当に平和にしたいなら国籍という概念に挑むべきだ)、サッカーW杯がクラブ単位ではないのも、バーニーがイギリスだけでほぼ完結している(某馬を除く)F1産業をアジアやアメリカに広げようとしていることも、究極的には『世界に広げなければ存続はありえない』としたからではないか。マイナースポーツはナショナリズム無しに競技はできない。サッカーは小さい欧州だけでは今の地位は無いはずだ。F1は金が無ければ成立しない。
そして、世界に広がりすぎてその存在の意味が無くなっても、『そこにお金は存在する。ならばそのお金に価値がある』と考えることができる。東京オリンピックが持ち上がっているようだが、今回の意図はズバリ『景気刺激』だと招致する人が話している。もう『お金が集まるという事実以外、必要性を担保できない』のだ。そして『その事実がある限りお金が集まり続ける担保になりうる』。『もはやその事実が重要になる』。
では、「インディ500」はどうだろう。先ほどの基準で言えば『インディ500は永遠にローカルスポーツでしかない』のであり、『世界選手権に勝てるわけがない』。この考えがF1を招致する最大の要素であったのかもしれない。
しかし、考え方を変えれば、『世界選手権に勝てないという考えが世界選手権に負ける最大の原因だ』とも言える(勿論、こう言うことのできるバックボーンは必要で、その論理を簡単に出せてしまう物は少ない)。
普通に考えればどっちが伝統も格式もあるのかは分かる。インディ500は『インディ500という存在そのものがインディ500である事を担保する』訳だから、かなり強固な存在のはずだ。
この論理には拡大の必要性は全くない。『インディ500が開催されればそれでいい』のであり、そこに『レベルの高低は考慮される必要はない』。
筆者のとりあえずの見解を述べた。では次頁から個別に突っ込んでいきたい。
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