始まり

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始まり

「やだっ、山田さんっ。あれ見てっ……あの男、また真っ昼間からあの五月蝿いバイクで走り回ってるわよ」 「ほんとよねぇ。あの男、仕事もしないで日がな一日ブラブラしてさ。この間なんて、この時期に川に入って何かやってたらしいわよぉ。不気味よねぇ」 長野県川上村に一月ほど前から一人の男が移り住んでいる。 男は身長百八十弱の細身で引き締まった均整の取れた体型をしていて、顔には無精髭を生やしているが、良く見ると切れ長の二重瞼で鋭い目付きをしたすこぶる良い男だった。 男は移り住んでからの一ヶ月余り、日がな一日川上村を愛車のハーレーダビットソンFXDLローライダーで走り回り、見晴らし良い場所に止まってはタバコを吹かし、ぼぉっと過ごしていた。 村人達はこの仕事もせずにブラブラしている男を訝しげに見つめては、避ける様に遠目で有らぬ噂を話している。 噂の元はこの男が川上村にやって来る数週間前、川上村の民家の並ぶ場所より少し離れた場所に、一つの元農家の空き家があった。 ある日突然、その空き家に普通では考えられないほどの大勢の大工と建設業者が大挙して現れ、空き家を修復し、周りの農作業小屋を崩し新たに建て直した 。 しかもその大工や建設業者は、東京ナンバーの車で現れ、自分達の仮住まいの家を建てて住み込み、あっという間に仕事をこなし帰って行った。 その車や建設業者の胸には誰もが一度は聞いた事がある一流企業の名前が書かれていた。 今日も男は愛車のハーレーで走り回ると、とある見晴らしの良い場所で独り寝転がり、左腕を枕に澄みきった青空に浮かぶ雲をぼぉっと見つめタバコを吹かしている。 この男の名は多良龍仁(たら たつひと)、年齢は三十六歳、格好はハーレーに乗る時はいつもダブルのライダースにカーゴパンツ、足にはショートのエンジニアブーツを履き、ジェットのヘルメット脱ぐと長めの髪をキュッと後頭部で結わいている。 その姿はまるで、現代の素浪人という感じだった。
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