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ぐいっと腕を引かれて。倉田は抵抗する間もなく方向転換させられた。気が付けばすぐ目の前に向江の顔があったので思わず目を見開く。と同時にその唇に柔らかい感触が伝わった。対する向江は満足そうに目を閉じている。途端に倉田は己の力の限りを込めて向江の図体を突き飛ばした。
「何しとんじゃあ!」
今度は尻餅をついた向江が目を見開いている。
「何って」
「シャラップ!」
倉田は倉田で息切れしていた。突然のことで心臓が驚いたのだ。ふつふつと怒りが湧いてくる。
「好きだったんだ」
「あぁ?」
ぽつりと向江は言った。倉田は興奮し出した感情が収まらないようである。聞こえているのかいないのか。
「倉田のことが、ずっと好きだった」
パンパンと服を叩きながら向江は立ち上がった。二度目の告白で怒りに身を任せそうになった倉田も我に返る。
「は?冗談だろ?」
どうやっても日本男子の平均値に届かなかった倉田の身長だと、向江の顔を見るには屈辱的にも見上げなければならない。反対に向江は俯き加減で寂しそうに笑った。
「冗談じゃない。小学生のときから好きだった」
それから両者ともに言葉を失う。沈黙が耳に響いた。倉田はぐるぐると思考を巡らせる。
「なんで、俺なんか」
しばらくして出た言葉はそれだけだった。本当はもっとたくさん聞くことがあるはずなのだが、頭の中を疑問や感情が飛び交ううちに訳が分からなくなった。けれどそれが倉田にとって一番聞きたかったことなのかもしれない。それは倉田自身もわかっていなかった。
「嘘だろ?だって、ほら。俺、男だし。そうだよ、俺男なんだけど」
途切れ途切れに言葉を繋げる。向江は寂しそうな顔から悲しそうな顔になった。
「そうだ、お前馬鹿にしてんだろ?わかってんだって俺。自分の立場くらい。有り得ねぇし、ふざけんじゃ…」
「嘘じゃない!」
倉田の言葉を遮り、強めに向江は言う。その瞳は真剣そのもので、倉田はキョロキョロと目を逸らした。
「第一、俺、向江のこと、嫌いだし」
向江の眼差しに押されつつ、最後にそれだけ付け足す。嫌い。そう言われて向江は目を伏せ、唇を噛み締めた。その様子に倉田が動揺する。
再び流れる沈黙が気まずさを加速させる。いつから、どうしてこうなってしまったのか? そう思うのは向江だ。
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