第1滑走・『天才少女と呼ばれて…』

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ところで…。 お汁粉の出店と通路を挟んでちょうど真向かいにある年代物のベンチに舞愛は目を向けた。 …朝からずっと気になって仕方がない。 いや、正確に言うと二日間の文化祭の始まった昨日からずっと。 そして、気になっているのはベンチではなくその上に置かれた物… いや、その上に横たわる人物である。 まず目につくのは、布団代わりに掛けられたスェードのばかデカい、ところどころ擦り切れた年季物のジャケット。 ジャケットで隠れない部分…頭の方からはカールした金髪が、腰の下からは、じきに冬だというのにところどころ素足ののぞくブロークンデニムの脚。 ジャケットのサイズと脚の長さからしてかなり長身の…たぶん男性だと思うのだが… とにかく頭からジャケットを引っかぶったまま、日がな一日ベンチに横たわっている。 舞愛が思い出して目をやるたび、色褪せたバスケットシューズを履いた足をぶらんと投げ出したり、脚を組んだり…と寝相(?)が変わっているので、少なくとも死んではいないことはわかる。 だが、やっぱり気味が悪い。 そもそも、人の学校の文化祭に来て、日がな一日ベンチで寝ているとか。 何目的? それに、さっきの母子連れもお汁粉の容器を持ったまま、怪訝そうな顔で遠回りをしながら他の椅子を探していた。 この男がこんなところでベンチを占拠してさえいなかったら、小さな子連れの親子やお年寄りだって無駄に歩き回らずに座って温かい物を口にできるのに。 立派な営業妨害ではないか。 汁粉屋が暇になり、舞愛の中に静かな苛立ちが芽生え始めたころ、 園芸部の女子二名が帰って来た。 「園芸部員が丹精込めたシクラメンほど人気商品はない~♪って今年も完売~っ♪♪」 「我が子を嫁に出す心境だよねぇ…」 「ドナドナ~♪って、経験あんのかよ~」 「あるわけないじゃん~!きゃはははっ」 「ドナドナ」はロバだろ。…「シクラメンのかほり」の懐メロチャンポン騒音攻撃にもベンチの男は動じない。 脚の組み方を替え、ジャケットの下で腕組みしてた両腕を枕にしただけ。 この二人は二人で、何が楽しくてシラフでここまでハイテンションになれるんだろう… 「あっれぇ~、桜井さん?」 「売り子してたの?スケート部の方行ってるのかと思ってた」 ミッション系私立の進学クラスで、フィギュアスケートに詳しい子なんて皆無に近い。 舞愛にはそれが気楽だった。
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