~「幕末」~惨劇に至るドミノ

20/20
1844人が本棚に入れています
本棚に追加
/641ページ
こうして尊皇攘夷の魁でありながら、明治新政府に送るべき有能な人材を内部抗争で失った水戸藩。 幕末のこの時代、各藩で数々の尊攘志士が蜂起しては断罪されましたが、その中でも「天狗党の乱」は幕末最大の惨劇と言われます。 一説によると、理屈を真面目に突き詰めてしまう「水戸っぽ」の気質がマイナスに働いたのでは、と言われます。 しかし、現在の茨城県は国立大二校(かつては三校)及びつくば学園研究都市を有していますしね。平和な時代ならいい面もありそうですよ。「水戸っぽ」メンタル。 ちなみにその他の人物の後日談です。 市川三左衛門(弘美) 諸生党のリーダー。弘道館戦争で二人の息子を失いながらも生き残り、江戸に潜伏。しかし、1869年(明治2年)に藩の補吏に捕えられ、水戸郊外で極刑に処される。享年53。 武田金次郎 天狗党首領、武田耕雲斎の孫。版籍奉還後、藩の権大参事を務めたものの、廃藩置県後は経済的に窮迫し、病死。享年48。 (戦と復讐に費やした青春の日々。新しく平和な時代は彼には眩しすぎたのでしょうか。晩年は伊香保温泉の風呂番だったという説も) 徳川慶篤 カリスマ藩主・ビッグダディ斉昭の後を継いだ悲運の第十代水戸藩主。実弟・慶喜の助言を受けながら藩の危機に向き合う。 1868年(慶応4年)水戊辰戦争勃発直後、「除奸反正」の勅書(諸生党らを討伐し、藩政を正常化せよという天皇の命令)を受諾。本圀寺党らとともに水戸城を奪還後に病死。享年35。 一橋慶喜 第15代将軍徳川慶喜として大政奉還、戊辰戦争を経験する。 (初期の大量殺戮がなければ藤田らに対する対応も違ったのかもしれません。私は“幕府を揺るがすのが水戸藩の人間であってはならない”という個人的感情を超えた断固たるものを感じるのですが、心中は本人のみぞ知る、です) 田沼意尊 若年寄。天狗党の乱における幕府軍総督。曾祖父は「田沼時代」と呼ばれる江戸商業の発展期を築いた田沼意次。曾祖父の晩年の失政、祖父や父の政治的不遇と好感度イマイチな家系なのがお気の毒。 なお、乱の鎮圧に必要な軍資金の調達に苦労した模様で、借金を返済できなかったとして家老が後日切腹。 鳥羽・伏見の戦いに幕府軍として参戦後、上総小久保の藩知事となり、洋式の藩校創設に尽力、51歳で死去。 そして、話は新撰組の時代に戻り、続編「幕末おうちごはん~おかわり」に続きます。
/641ページ

最初のコメントを投稿しよう!