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落ちた鞄を拾おうと屈んだ俺は、そのまま動けなくなった。
「……参ったな」
きっかけは駅名の名字だ。
振り返ってぶつかった瞳が、黒いビー玉のように輝いて居て…
多分、一目惚れだったと思う。
毎日、毎日。
自分が滑稽に思えるほど毎日、毎日好きになれた。
額を伝う汗がポタポタと鞄に落ちる。
気がついたら抱き寄せて居た。
遊びの中で何度となく抱えた体なのに。
違う生き物に触れたような感覚。
見る間に紅潮する肌はただひたすら艶やかで、かぶりつきたくなった。
手の震えが止まりませんな…
体が自分の意志で動かない。
『ヤダ』
俺は大きく息を吸う。
鶯谷の声が頭の奥で何度も木霊した。
* * * * *
「石橋氏。矢萩氏からの連絡で2121遅れるようです」
「なんとっ!あちゃーでございますな」
俺は構えてたカメラを下ろして、線路の向こうを眺めた。
今日は土曜日定例の撮影会だ。
いつもは楽しい鉄道仲間との交流だが、今は流石に集中出来ない。
影に置いてた2Lペットボトルの場所まで移動して音を立て飲む。
今日は暑くてあっという間になくなりそうだ。
「……ふぅ、暑っ」
ウエストポーチから携帯を取り出し、ディスプレイを覗くとそこには着信の文字。
鶯谷?!
空が白んで来た頃に、ようやく送れた1通のメール。
『今日はすまなかった』
結局それしか書けなかった。
黙ってたって何も変わらないのに、メールを開ける勇気が出ない。
俺は何を期待してるんでしょう…。
歯を食いしばって無題のメールを開けると。
『電話くれ』
の文字。
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