宛城の戦い

11/11
前へ
/42ページ
次へ
   ◇   ◇   ◇ 宛における曹操軍と張繍軍の戦いは、張繍軍の快勝に終わった。 この戦いの最中、曹操軍の典韋、曹昂、曹安民らが戦死。 曹操は特に典韋の死を悲しみ、その嘆き様は息子である曹昂の死を聞いたとき以上だったという。 曹昂の育ての母であり曹操の正妻である丁氏は、これを聞いて憤慨し、夫と離縁。 曹操は彼女に謝罪したが、丁氏は決して復縁を認めなかった。 張繍が曹操に降ったのはこの2年後、建安4年(西暦199年) 11月のことである。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

86人が本棚に入れています
本棚に追加