31人が本棚に入れています
本棚に追加
◇◆◇◆
遠い、遠い、
モノクロームの記憶。
ぼくは寝る前にトイレに行こうとして廊下を歩いていた。
お茶の間でテレビの音がしてたからそっと覗いてみると、お父さんがテレビで野球を観ていた。
食卓の上に新聞と湯呑みを置いて、お父さんはいつものように、廊下にその大きな背中を向けて、一人でテレビを観ていた。
ブラウン管から響く、バットがボールを捉える乾いた音。
沸き起こる観客の歓声と、やかましい実況の声。
『三遊間、抜けたーっ!二塁ランナー、三塁を蹴った!レフトから返球!間に合うか!?間に合うか!?タッチ、アウトーッ!!試合終了ーっ!!』
その、瞬間だった。
普段、感情を表に出さないお父さんが、テレビのリモコンを思い切り壁に向かって投げつけた。
ぼくはびっくりして、思わず障子の陰に隠れてしまった。
大好きなチームが負けて、悔しかったんだろうな、とても。
お父さんは野球が大好きだから。
このチームが大好きだから。
だからぼくはその時、心の中でお父さんに約束をしたんだ。
お父さん、ぼくね、
大きくなったらプロ野球選手になって、お父さんの大好きなチームに入るよ。
そしたら、毎日ぼくはホームランを打つからね。
毎日ぼくがホームランを打つから、ぼくのチームは毎日勝つんだ。
だからお父さんは、もう、悔しがる必要はないんだ。
それから、何年か経って。
『大きくなったらぼくはプロ野球選手になる!』
そう高々と宣言したぼくに、父さんはとても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
その時父さんは何も言わなかったけど、ぼくは、プロ野球選手になることが、父さんへの最高のプレゼントになるんだって、
そう思った。
◇◆◇◆
優しい、
それはそれはとても優しい、
そして、どことなく懐かしいメロディー。
心地よい、柔らかな旋律に包まれ、孝平はゆっくりと目を開けた。
「あ、ごめん。起こしたね」
その真由美の声とともにメロディーは途絶え、
いつの間にか自分が眠っていたことに気づき、運転しながら真由美が歌を歌っていたことを、孝平は寝ぼけた頭で悟る。
「すまん、昨日からあまり寝てなくてな」
「そこは謝るところじゃないよ。お兄ちゃんはいっつもいっつも、謝るポイントが違う!」
そう言って真由美は舌をべーっ!と出した。
最初のコメントを投稿しよう!