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孝平はまだ少し眠い目をこすりながら、先程まで真由美が歌っていたメロディーの余韻に浸る。
最近のヒット曲だろうか。
近頃は似たような曲ばかりで気づけばヒットチャートを追うこともなくなっていたが、そういったいわゆる売れ線の類いとは違う、聴く者の心を揺らす素朴で良い曲だと思った。
「ところでさ、お兄ちゃん」
「ん?」
健一の家まであとわずかというところで、不意に真由美が口を開く。
「私ね、夏に結婚するの」
「はぁ!?」
驚きのあまり、ガバッと体を起こそうとした孝平だったが、シートベルトに阻まれ苦しそうに座席に沈む。
「結婚!?お前がか!?」
「そうよ」
「がさつで、野蛮なお前がか!?」
「そうよ。がさつで野蛮で、男勝りで料理下手な私が、よ」
「いや、そこまでは言ってないが…」
孝平は自分を落ち着かせるためにひとつ深呼吸をすると、改めて妹の横顔を見た。
「相手は、さぞかし海のような広い心を持ったナイスガイなんだろうな…」
「うん、それでねお兄ちゃん、よく聞いて。お父さんがさ、お兄ちゃんが農家を継いでくれないなら、そのナイスガイな彼に継がせるって言ってるの」
「…ふぅん、結構なことじゃないか。この村で農家やってりゃ、一生安泰だぞ?」
「人には向き不向きってものがあるの。わかって、お兄ちゃん」
真由美のその言葉はいつになく真剣で、孝平は思わず返す言葉を見失う。
少し間を開けて、孝平は窓の外に流れては消える村の高級住宅を眺めながら答えた。
「なるほど、そういうことか。さっきはお父さんのために…、とか言ってたクセに」
「お父さんだって、ホントはお兄ちゃんに継がせたいって思ってるよ。それぐらいわかるでしょ?」
それっきり、孝平と真由美は互いに口をつぐむ。
BGMのない車内に、軽快なエンジン音だけが響く。
夢を追いかける孝平の心に、一筋の亀裂が走った。
「…考えとくよ」
「ホントにお願いね!もう、プロ野球選手なんてムリに決まってるんだからさ!今回のプロテスト、ダメだったんでしょ?やっぱね、お兄ちゃんが思ってるほど、プロの世界は甘くないんだって!」
「…………」
反論できない孝平に、さらに真由美は追い打ちをかける。
「それにさ、いつまでも仕事もしないで親のスネかじってばかりじゃ、ダメでしょ?」
それに関しては、孝平に言い訳をする余地などこれっぽっちもなかった。
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