大汚染時代

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  「古代ギリシャの哲学者エンペドクレスは、万物は火、水、土、そして空気からなると考えたんだ。一見何もないようなところにも実は空気が充満していて、それが重要な存在だと大昔から知られていたんだね」 雲崎蘇良(くもさき そら)は密閉された部屋の隅で分厚い本を貪っていた。 「昔の空は今よりずっと綺麗だったんだって。でも人間が空気を汚したせいで、人も動物も呼吸できなくなったんだ」 「今日も難しい本を読んでいるのね。ソラのてっつがくしゃあ」 ソラと同い年の晴谷窓香(ハレタニ マドカ)は下から本のタイトルを覗き見た。 「室内の換気をしないと、また発作が起こるわよ。読者もいいけど、自分の肺のこともいたわってあげなさいよ」 「分かったから、勝手に調空機のスイッチをいじるなよ。昨日も言っただろう」 空気会社が製造した人工空気がパイプを通じて送られる。 全面を金属板で覆われた缶詰め状態の家では、定期的に調空機で空気を取り入れなければ窒息してしまうのだ。 「リモコンを返せよ。俺が吸う空気の成分比率は人とは違うんだよ」 ソラが三才のとき、雲崎一家は事故に見舞われた。 汚染された外気がエアカー(飛行自動車)の隙間から入り込んだのだ。 両親は亡くなった。 ソラは奇跡的に助かったが、代償として心肺機能に異常をきたしてしまった。 以来、一般人用の空気内では居られなくなったのだ。 「この部屋に長居しすぎると体調を崩すぞ」 「遠回しに出て行けって言いたいのね」 「そうじゃなくて、マドカの肺が心配なんだよ」 「あら、ソラはいつからマドカより世話焼きになったの?」 「とにかく、一般人用の空気に満たされた自分の家に帰るんだ」 「イヤよ。もう少しいたいわ。最近、マドカのことを避けてる?」 「違うんだ」 「違わない。マドカには分かるもん」 調空機がガタガタとうなっている。 そろそろ買い換えたほうがよさそうだ。 「また明日、来たらいいじゃないか」 空気の性質のせいか、マドカの瞳はひどく湿っていた。
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