内田樹の「街場の文体論」を読んで

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 本書を2回精読させていただきました。2回続けて精読したことは過去にはありません。1回目の読書さえ途中で止めてしまう本が多い中、2回読むことは私にとって奇跡です。ただ、2回目の読書でも新たな発見がありました。スゴイ本だと思います。 1回目は、荒波の中で進む小舟のようで、どこへ向かっているかわからなかったというのが実感でした。2回目は、さすがに大きな船に乗っている感じで、着地点だけは見えていました。でも、結局どこにも進んでいなかった。  最初は、「自分の文体はどうすべきか」という疑問に答えてもらえると期待していましたが、結論的にはそんなものは、自分で見つけるしかなかった。突き放されて海で溺れた感じです。  本書の中でレポートを要求されている部分が2箇所ありました。一つ目は、粗忽な人を千文字以内で紹介するというもの。二つ目は文字数の制限はなく、論点を見つけて意見を書くというものでした。  ここで、あなたがレポートを求めている宛先を考えてみました。当然のように、受講生が宛先のようですが、彼女たちはすでにレポートを出し終えています。最初と最後にあんなレポートを要求されたという思い出のためにあなたがこの文章を残したのでしょうか。そのためだけに、あなたが書くとは思えませんでした。過去の連絡事項には、何の意味もありません。最初のレポートは後から言及されているから多少意味がありますが、最後のレポートの内容を書く必要はありません。だから、このレポート提出は本の読者に宛てられたメッセージだと確信しました。もっといえば、それを読み解く読者だけに送られたメッセージです。そう読み解いた私は、レポートを送らなければいけない。  本来はメタメッセージとして、「この本を読んだ人は、必ずレポートを出してください」と書きたかったのだと思います。ただ、そんなことをしても、読者にレポートを書かせるという仕組みがありません。だから、額縁としてではなく、絵の中の描かれた手紙に描かれたのだと思います。
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