内田樹の「街場の文体論」を読んで

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 私自身の性格を説明するなら、レポートを出せと書いてあったところで、感想さえ送らないだろうと思います。強制されたのではなく、自主的に行動したいと考えるタイプです。ある意味で、相手にとって迷惑だろうと思えるぐらいでないと書きたくありません。だから、迷惑だと思われるようなレポートを出すことにしました。何よりも、定年対策大学の最初の講義を、本レポートの提出により終わり、「単位を履修したこと」にしました。 まずは、粗忽について書いてみました。 ファーストレポート 「粗忽といわれて思い出すのは、母方の叔母さんです。夏の法事に大きなヤカンで麦茶を作っていたのですが、飲んでみたら水だったのです。お湯を沸かして、麦茶を入れて、冷やす。何も難しいことはない手順ですが、途中でチェックをした筈なのに麦茶を入れ忘れて冷やしてしまったのです。幼い私は目が点になってしまいました。でも、今となってはたいした粗忽ではなかったのだと思います。もう一回沸かせば取り直せる失敗であり、取り戻せる粗忽は大きな問題にはなりません。  私の粗忽さはそんなもんではありません。ズームレンズ付きのカメラを買って写真を撮りまくっていた頃があります。あるセレモニーを36枚撮ってから取り出したら、フィルムが入っていなかったのです。これは取り戻せません。このミスを思い出すと今でも慚愧の念に耐えません。あの時フィルムが入っていたら、どんな傑作が撮れたんだろうと想像します。 でも、本当はもっと粗忽な失敗が一杯あります。友人として付きあっていたら、絶交したくなるような粗忽ばかりです。ただ、恥ずかしくて書けないようなことばかりです。恥ずかしい話を書くことは、一つのクリエイティブ・ライティングだと思って一つだけ書いてみます。  高1の時女の子と本屋で立ち話をして、舞い上がって失敗した話です。
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