内田樹の「街場の文体論」を読んで

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 私の仕事は、製造業を傘下に持つ親会社で環境の担当をしていて、会社に送られてくる環境に関わる手紙の対応をしています。ときどき、学生さんたちから、環境経営に関するアンケートを受け取ります。「御社は、環境に対してどう考え、どう行動しているのか」というような質問です。読んでいると、企業というものがどのように成り立っているのかという想像さえしていない学生が多いことに気がつきます。誰に回答を求めているのかわからないのです。社長の意見を聞いているのか、担当者の意見を書いていいのか明確ではない。また、アンケートを実施する目的がわからないことは多い。会社としても、何に使うのかわからなければ答えられません。それに、手紙を出して弊社に問い合わせてくるにあたって、弊社のホームページを一度も見ていない学生が多い。会社としても環境に関わる発信を、毎年かなりの費用を払って実施しているので、それに対する意見をいただけるのなら、喜んで回答します。だが、何も見ずにアンケートを送りつけてきます。ホームページを個別に見るのが嫌だから、同じアンケートに回答してくださいという意図が見えてきます。そうすることで学生の手間は省けるでしょうが、そんな遊びに大人が付きあう必要は全く感じられません。バカにされている感じです。人事部からは、この大学の優秀な学生を取りたいから回答して欲しいと依頼されますが、こんなバカな学生は採らない方がいいと個人的には思います。  どれだけ読書をしても、こういう学生さんたちは宛先を意識した文章を書けないのではないか、読書の中からコミュニケーションにたどりつける学生さんは少ないのではないかと思います。インプットするだけでなく、アウトプットする必要性を実感して欲しい。手紙を書いて、その返信をもらうというやりとりの中で、対象読者を増やしていって欲しい。一度そうやって、コミュニケーションが成立すれば、その後はどうやってこのやりとりを続けられるか考えることによって、文豪たちの文章を読みたくなり、アウトプットのために読書が必要だと認識できるようになります。
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