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「今から、ですか?」
「そう。この前の店でさ。どう?」
雑踏に紛れて聞こえてくる文雄の声が、いつもよりも甘く囁いて、恵美の脳を溶かしていく。
優しい口調で彼女を導いてくれる、その魅惑的な言葉に、逆らえるはずもなかった。
いや、もしかしたら、危険な罠だと分かっていて、あえて気がつかぬ振りをしたかったのかもしれない。
ただ彼女は、1人になりたくはなかったのである。
たとえそれが文雄だったとしても、優しく話を聞いてくれる誰かと一緒にいなければ、頭がおかしくなりそうだった。
「……行きます」
そう口にしても、恵美の心は不思議とざわつくことはなかった。
今はこれで良いんだと、自分に言い聞かせるように、深く呼吸を繰り返して。
「今から、行きます」
確かにそう、恵美は言った。
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